子どもを溺愛しすぎてはいけない!?溺愛と愛の違い。


「たぶん実話・・・」から学ぶ溺愛の失敗例

2014年11月26日放送の「ホンマでっか!?TV 親子の良い関係マズい関係SP」の中で、

あんまり溺愛される思春期を過ごすと意外と老後、面倒を見なかったりするんですよ。

という植木理恵氏のコメントを聞いて「あ!!これ、いつぞや何処かの掲示板で読んだケースのことだ!!」と思ってしまった。

「あれ~どこで読んだんだっけ~」と探してみると、まだその文章は残っていたので少しマイルドに解説すると・・・。


あるところに、山田(仮)さん夫婦とその息子、太郎君(長男)と次郎君(次男)の4人家族がいました。

山田さん夫妻は、次男の次郎君のことを「この子は天才だ!!」と、愛情もお金も次郎君に注ぎました。

一方、長男の太郎君のほうはというと、「この子は、知的障害者かもしれない・・・」という理由で、現代でいうネグレスト(育児放棄)に近い育て方をしました。


その結果、太郎君は思春期になるとグレてしまい、山田夫妻にとうとう見捨てられました。

そうすると山田夫妻の仕打ちに見兼ねた親戚が「あの子が可愛そうだ・・・」と太郎君を引き取っていきました。。


月日が過ぎ、次郎君は両親の思惑どおり、世間でいう優秀な子に育ち、良い大学、大手企業に就職し、ますます両親の鼻は高くなっていきました。

ただ、社会人になると組織の中で出世するためには、お勉強だけできても太刀打ちできません。そのあたりの能力は次郎君にはなかったけれど、まぁ大企業に就職して、そこそこの給料を貰っている、我が子を見ていて両親も満足でした。

でも、人生なにが起こるかわかりません。


事故や病気といった災いが次々と山田夫妻に襲い掛かり、夫婦ともども体が不自由になってしまいました。

頼れるのは、溺愛した次男の次郎君です。

両親は言いました「次郎や・・・ 見ての通りお父さんもお母さんも自分の体がいう事をきかなくなってしもうた・・・。身の回りの世話とかしてくれんかの~」


あれだけ愛情を注いだ次郎なら2つ返事で「もちろんだよ。僕に任せておいて~」と言ってくれると信じて疑わなかったのですが、次郎君から返ってきた言葉は、「え?困るよそんなの・・・自分達で何とかしてよ」という返事でした。

山田夫妻は愕然とするも「そうだ!!次郎がダメなら太郎に頼むしかない。」と事もあろうに、見捨てた長男のところに自分達の世話をしてもらうよう頼みに行きました。

その頃、太郎君は親戚夫婦の養子になっており、育ての親2人と仲良く3人で暮らしていました。


山田夫妻は自分勝手なことを言います。

「太郎・・・本当の親はワシ達じゃ~。だから、こっちに戻ってワシら2人の面倒を見んかい!!」と、到底まともな人間のいう事じゃありません。

太郎君は、新しい両親のところに行ってからというもの、知的障害だと思われていたのがウソのように良くなって、猛勉強の末、グレていた時期の勉強の遅れを取り戻し、浪人はしたものの大学へも行かせてもらい、その後、結婚をして幸せに暮らしていました。


それに、育ての親2人も高齢になっていた為、お義父さんのほうは介護が必要になったので、太郎君は「僕を一生懸命育ててくれた、お義父さん、お義母さんに恩返しをしているんだ。あなた達も一生懸命に育てた次郎に面倒を見てもらえばいいでしょ。」と無論、太郎君は山田夫妻の面倒を見ることはありませんでしたとさ。



この例は極端かもしれないけれど、溺愛しすぎると「次郎のようなポンコツ人間が出来上がってしまうんだなぁ~」と・・・。

この山田夫妻もポンコツだけどね。

しかし、次郎君が幸せになっていてくれたのが、せめてもの救い。

これを読んだ時から何となく覚えていて、今回のホンマでっか!?TVの放送までは数ヶ月間という日が過ぎていたけれども「溺愛というのは子どものためには、良くないことなんだ~」と妙に腑に落ちた。


親子の良い関係マズい関係

因みに「ホンマでっか!?TV」内での溺愛ネタはこんな感じでした。 

放送日:2014年11月26日 

NO,12 親に溺愛された子どもは、将来親の面倒を見ない!?

  • 解説:心理 植木理恵氏


親に構ってもらえない時期がある子ども
→満たされたくて、親を大事にする傾向が。


最近は、子どもを溺愛する親がすごく増えているけれど「親に溺愛されて思春期を過ごした子どもは意外と親が年老いても老後の面倒をみない子に育ってしまう。」というコメントだった。

逆に母親が仕事や家事などに忙しくて、子どもからしたら少しくらい冷たく感じたり、ちょっとくらい寂しい想いをする経験があった子どものほうが、「僕(私)は満たされていない。」と感じるので「母親にかまってほしい、褒めてほしい」という報酬欲求が残り「親を大切にしよう」という気持ちになり、その結果、親の面倒をみてくれる子に育つのだという。


NO,13 溺愛は子どもを甘えさせているだけ!?

  • 解説:親子心理 アインシュタイン似の山崎雅保氏

愛する。
→子どもとちゃんと距離をとれる事。


溺愛されて育った子どもは、親の所有物になり自立できない傾向が。


溺愛=愛ではないという。

溺愛とは、ただ単に子どもを甘ったれにしてしまうだけ、なんだそうだ。


蛇足だが、こんな台詞を思い出す。(知らない人はゴメンなさい)


あむろ君:「2度もぶった。親父にもぶたれたことないのに~」

ぶらいとさん:「それが甘ったれなんだ。殴られもせずに1人前になった奴がどこにいるものか!!」


話が脱線してしまったが、つまり溺愛されて育った子は、いつまでも母親の所有物なので、子ども自身には決定権がないというパワーバランスになってしまい自分で決められない子に育ってしまうのだとか・・・。

だから、大きくなっても母親に「お母さん~ 僕、あの子のことが好きなんだよね~ どうしたら言いと思う?(男の子の場合)」といった相談をしてくる子になってしまう。

山崎雅保氏も「(こんな子)気持ち悪いでしょう~」言っていたが、こんなことを親に相談してくる男は、僕も気持ちが悪いと思う。


つまり、溺愛するという事と愛するという事は違っていて、本当に子どものことを考えるのであれば、まだ小さい頃の乳幼児の時代から、少しずつ子どもと距離をとるようにしていき、如何に「子どもに任すことができるか」というのが、山崎雅保氏がいうところの本当の愛情。


僕自身としては、子どもに少し「寂しい想いをさせてしまっているのではないか・・・。」と悩んでいたけれども、この「溺愛というのは愛じゃない理論」に納得したので、まさしく思春期のわが子との距離間は、「案外良い距離かもな~」と思ってしまった。